創作資料集めはキリがない

今回の記事は、方法を教えるとか、引っかかりどころを解決とか、そういう類のものではありません。
どちらかというと、私がどうしたらいいか困ってます、解決を望んでいるわけではないけども、もしかしたらみんなも同じ感じなのかな? という四方山話のような内容です。

私は趣味で創作活動をしています。主に漫画や小説を創っているのですが、現代や、歴史上実在したものを扱うストーリーを書く場合、資料を集めることになります。

扱う題材、内容の深さによって、どれくらい資料を集めるかはまちまちです。
ただ創作をしたことある人なら分かると思いますが、集めた資料は全てを使うとは限らず、大半は使われずに終わることもあります。
ですが別にそれは構わないことなのです。
その時にはもう作品の制作に取りかかっていて、使える資料だけをピックアップして反映させていくだけですから。

作品が完結すれば、資料は使った使ってないにかかわらず大体は用済みになります。
そのあと資料を棄てるか保管するかなど扱い方は人によって様々だと思います。

集めた資料を使う、使い終わった資料を処分する。これは別段記事にするような面白みのある流れではありません。

一番の悩みどころ。
それは「資料集め」です。

ここで例えば、制作する作品が江戸時代の日本とします。
主人公は江戸の下町に住んでいて、日常のドタバタ劇としましょう。
集める資料は、
江戸時代の庶民の暮らし
家、広さ、間取り、家族
食事、回数、時間、調理法
衣服、素材、種類、TPO
町並み、民家、商店、公共施設
文化、治安、法律、身分、しきたり
スポーツ、芸術、娯楽
地理、交通
すぐ思い付いたものはざっとこんなもので、記事を先に進めるためにこれ以上挙げるつもりはありませんが、もうちょっとしっかり考えればもっとたくさん出てくるでしょう。
そこで暮らしている人物が主人公なので、生きていることで関係のあるものは全てが資料収集の対象となります。
しっかりとデフォルメの利いたギャグ作品ならともかく、まともなストーリーを書こうと思えばこの辺りは調べておく必要があるでしょう。

私は日本に生まれ育ち日本語を第一言語としています。加えて比較的年代の近い江戸時代、資料も多く残っていると思われます。
資料の収集や取捨選択も問題なくこなせるでしょう。
ここで勘案するのは、どれだけ深く情報を集めるかです。以下では情報深度と表現します。

現代と江戸時代ではおそらく常識が違います。ただ歩くだけでも、洋装と和装という違いがあります。靴も現代とは違いますし、路面もどの程度舗装されているか。
また、道路を歩くときのマナーやルールはあるのか。
なにをどれだけ描写、反映させるかは作品のジャンルや内容にもよりますが、歩くという動作だけでもこれだけ調べられる項目は存在します。作品ジャンルがリアル重視の時代物であれば、このくらいの資料収集は必要なんじゃないかと私は思います。

さて長々と綴りましたが、ここからが本題です。

日本在住の日本語を用いる日本人が、近代日本の歴史資料を集めるのは、わりと容易かもしれません。
ですが、中世東欧の資料となるとなかなかそうはいかないようです。
加えて、上流階級のことや政治的な動きは見つかるのですが、一般庶民の資料はなかなか見つかりません。
西欧ならまだそこそこ見つかるのですが、なぜか東欧が見つかりません。探し方が悪いのでしょうか…。
日本語の資料はWikipediaが一番充実しているんじゃないかという状況で、書籍を買おうにもいいなと思った本は絶版だったり販売価格が一万円を超えていたり…。
それらも種類はそれほど多くはありません。
本気で当時の文化や生活を調べようと思えば、いよいよ現地の言語で書かれた本を手に取るところまでいかないと調べ切れません。

さてここで、作風や話の展開から、どのくらいのリアルさを求めるか、手に入れられる資料の充実度との妥協点を求めなければなりません。
先の例に挙げた江戸時代なら、どこまでかラインを引くことで適当な情報深度に調整できると思います。
もし、作品において求める情報深度より実際にすぐ手に入れられる資料が不十分な場合、果たして妥協すべきか、まだまだ資料を求めるべきか、それはどこにラインを引くかが難しいです。
現地の言語での資料を参照しないと必須の情報が手に入らないのであれば、言語を学ばないといけないとういことになり、それは明らかに手間がかかりすぎます。
しかしもしそれが世界観の表現に欠かせない要素であるとしたら、一体どうしましょう。
本に用いられている言語を学ぶのか、要素の取得をあきらめるのか。簡単に答えは出ません。

史実に基づき正確な描写が必須の作品でなければ、それはあきらめて代わりになる要素を探すのか、はたまた作りあげるのか。
ぞの要素が世界観に影響を与えるものなのであれば、どちらにしても世界の前提条件は変わってきて、そのほかの要素も調整が余儀なくされてきます。そこにはまた多くの時間と労力が必要になります。

どちらにしても多少の手間と時間を惜しまずにやり通すだけの気概は必要となりますね。どちらも億劫であるならばいっそのこと舞台を変更するという手段も考えられます。作品内で表現したいテーマがその舞台である必要がないならば可能です。

さて、先に例を挙げた、江戸と中世東欧。
私はこの中世東欧の資料を色々漁っているのですが、欲しい内容がピンポイントなものなのでなかなか難航しています。
史実と虚構のライン、集められる資料、その均衡をどこで取るか。
私の場合はもう関連ストーリーを公開してしまっているので、舞台の変更は出来ません。
とことん情報を追究するか、ある程度の虚構を入り混ぜるか。答えはまだ出ません。

個人的に、資料はいくらあってもいいと思ってます。本当にこの資料使うの? とか、こんな情報どこに使うんだ、というものまで、些細なことを知れば知るほど作品の世界に説得力が出ると思ってます。
ただそのためにたくさんの時間を消費して、作品作りに時間を充てられなくなるようなら本末転倒とは思いますが、それでも出来るだけたくさん、広く深く、情報深度を高めることによる効果はあるはずです。
取り入れた知識によって新たなエピソードを思いついたりすることもあるかもしれません。

ほかの方々はその辺り一体どうしてるんでしょうね…。
ちょうど良いバランスにする方法論とかあれば教わりたいものです。
とりあえず、私はまだ資料集めに励むとします。
その資料が必要な作品の制作は止まりますが、その間は他の作品を作るとしましょう。

散文お読みいただきありがとうございました。

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